★全く驚いた.
確か日本アニメ史上初だったと思うが,聖書や讃美歌を引用し,すべてラテン語によって書かれた歌詞を持つ,アニメ「エルフェンリート」のオープニングテーマ「Lilium(歌手:野間久美子,作詞・作曲・編曲:小西香葉/近藤由紀夫)」.
YouTubeで確認したところ,世界の教会で歌われるようになっていた.
おそらく唱者たちは,これがアニメのオープニング曲である事はもちろんのこと,そのアニメがいかなる内容を持っていたかについては,知らなかったのでは無いかと思う.
このアニメの原作となった連載マンガが,青年誌に分類される「ヤングジャンプ」であることからわかるとおり,この作品は
- 萌え系の美少女
- 残酷なバイオレンスやスプラッターシーン(四肢切断等)
- 児童虐待
- ヌードなどのエロスシーン
- SF的なストーリー
- ナンセンスなギャグ
そのような一見低俗で悪趣味な男性向け娯楽作品が,なぜに各国の教会で自然発生的に歌われるようになるほどの,讃美歌的な美しいオープニングテーマを持つに至ったかの謎は,この作品の監督である神戸守の,懺悔にも似た作品解説から了解される.
「一人の人間の中でこれらのことは複雑に絡みあっている。
平凡であることへの劣等感。他人との違いによる劣等感。同じ境遇の者への親近感。そして、救い。
この作品は表面的にはお色気、ラブコメ、バイオレンスだが、本質は差別と救いであろう。宮崎駿監督作品「風の谷のナウシカ」において制作進行担当の経験もある神戸監督は,おそらくこの作品を好んで視聴するユーザー層の病的精神性について,十分理解していたのだと思う.またこの作品を世に送り出すことによって,彼らのその病的精神性を助長する危惧のある事も十分承知していたはずだ.推測の域を出ないが,神戸監督は,このような作品の制作に携わり,またそれによって自分が生計を立てていることに関して,ある種の罪を感じていたのではないだろうか?
社会問題にもなっている苛め、つまり差別はこの作品の中に詰まっている。誰しも救いは求めている。」 - 神部守(Wikipediaより)
その罪の意識の中で神戸監督は,作中に一種の「ささやかな贖罪」を挿入しようと試みたのだと思う.それは売上を含むアニメ制作現場の様々な制限の中において,この病的作品のユーザー層をむしろ,この作品世界の中から抜け出させ,「救い」へと 導くためのある種の「仕掛け」であった.彼の選んだその「仕掛け」とはオープニングテーマであり,またその「救い」とは,キリスト教(カトリック)であった.
極論すれば,この作品はオープニングテーマ曲がすべてであり,その讃美歌を罪深き病者らに聞かせ,洗い清め,「救い」へと導く為に作られたのだ. 果たしてその「救い」は,彼らに届いたのだろうか?そして神戸監督自身は,救われたのだろうか?
なおこの作品の秀逸な批評については,下記のページがあるので,そちらを参考にされたい.
★Lilium ラテン語歌詞:
Os iusti meditabitur sapientiam,Et lingua eius loquetur indicium.
Beatus vir qui suffert tentationem,
Quoniqm cum probatus fuerit accipiet coronam vitae.
Kyrie, ignis divine, eleison
O quam sancta, quam serena,
quam benigma , quam amoena
O castitatis lilium
Os iusti meditabitur sapientiam,
★Lilium 歌詞日本語訳:
正しき者の唇は、叡智を陳べ其の舌は 正義を物語る
幸いなるかな 試練に耐え得る者よ
之を善しとせらるる時は 命の冠を受くべければなり
主よ 聖なる炎よ、憐れみ給え
おお、何と聖なる哉 何と静かなる哉
何と慈悲深き哉 何と情愛厚き哉
おお、清廉なる白百合よ
★聖書・讃美歌引用:
- 1~2行目:旧約聖書「詩篇」37-30
- 3~4行目:新約聖書「ヤコブ書」1-12
- 5行目:グレゴリオ聖歌「キリエ・エレイソン」
- 6~8行目:賛美歌「めでたし世の希望なるマリアよ」
★歌詞日本語訳引用ページ:
- Yahoo!知恵袋「エルフェンリートのLilium どなたか歌詞と、日本語訳を教えていただけませんか?」