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2013年12月18日水曜日

尊い痛み(on twitter @rahumj)

 痛みを感じていないキリスト者など一人もいない.みなイエスの十字架の痛みを,日々日常の中で感じながら生きている.そのあまりにも尊い痛みこそが,我らを眠らせないのだ.

透過(on twitter @rahumj)

 逮捕により,人間として法的権益を剥奪され,獣扱いされた彼は,その十字架において,獣にすら許されていた,彼の皮,その衣服さえ奪われ,獣以下になった.だが同時に彼は完全(just)に彼となった.神の栄光を遮蔽するものは,そこには何もない.

2013年9月19日木曜日

手術痕 (on twitter @rahumj)

イエスの十字架は,自分にとって大きな手術痕のようなものである.

ヨセフの思い (on twitter @rahumj)

 サンヘドリン議員で,イエスの弟子でありながら,イエスを死刑から救い出すことができなかったアリマタヤのヨセフ.

 その彼が,もう遺骸となってしまったイエスを十字架からおろすために,イエスの手首を貫いた釘を,今引き抜く.

 その瞬間の彼の思い.

2013年9月17日火曜日

十字架を下ろして(on twitter @rahumj)

 自分の十字架を背負う者は,時としてその十字架を重みとしてのみ知覚し,十字架の意味を忘れてしまうことがある.

 だから時にはその十字架を下ろし,自分の目の前に立てて,その十字架にかかっている自分を見つめる必要がある. 

 その恐るべき自分の姿を受け入れられなければ,生命に至ることはできない.人はそれに何を見出すのか.喜びか?それとも恐怖か?

 喜びは生命の本質であり,エネルギーである.それは眼前の死を突き抜けて,生命を先の方へと進める.

 その姿に憧れ,また現実にそうなることが決まった時,激しい喜びを感じた人々が過去にはいた.

 喜びによって死を突き抜けていった人々は,今も我々の中で生き続け,語りかけてくる.彼らはこれからも,残された人々に語り継がれ,無限の未来を生き続けていくであろう.