自己と似た他者が視界の中にあれば,人は安堵する.それは,その自己に似た他者の存在事実,一種の鏡が,自己がこの世界に存在することを強く肯定するからである.逆にそのような他者を見失った者,あるいは,すべての他者を見失った孤独者は不安である.自己の存在自体が,限りなく曖昧になるからである.
それゆえ一人荒野をさまよう者は,その過酷な環境を生き抜く為,自己の内部に,その鏡を見出さねばならない.そしてその宝を見出したならば,それが絶対的他者性を持つに至るまで,磨かなければならない.
2014年1月30日木曜日
2013年12月7日土曜日
不安と平安(on twitter @rahumj)
「自分の生きているこの場所(世界)は,いかなる場所であるのか?」
この知識への強い欲求はしばしば,自己の生存に関する不安に依拠していると思われる.
現代人の特徴と呼ばれて久しい「不安」を持たない人間,すなわち平安に満たされて生きている人間は,この世界よりも,己にもたらされた平安の源泉に関する知識に深い関心を持つ.
ゆえに平安は,良い意味でも悪い意味でも,人を世界から乖離させる両刃の刃でもある.逆に不安は,人の目を自分のいる世界へと向かわせるポジティブな側面を持つ.
厭世的平安に甘んずることを戒め,この猥雑な世界の直中において,祈りと不安と共に「生きる」勇気を持つこと.
この知識への強い欲求はしばしば,自己の生存に関する不安に依拠していると思われる.
現代人の特徴と呼ばれて久しい「不安」を持たない人間,すなわち平安に満たされて生きている人間は,この世界よりも,己にもたらされた平安の源泉に関する知識に深い関心を持つ.
ゆえに平安は,良い意味でも悪い意味でも,人を世界から乖離させる両刃の刃でもある.逆に不安は,人の目を自分のいる世界へと向かわせるポジティブな側面を持つ.
厭世的平安に甘んずることを戒め,この猥雑な世界の直中において,祈りと不安と共に「生きる」勇気を持つこと.
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