2014年1月7日火曜日

続「TRICK 劇場版2」とカトリック,あるいは,そのトリックの深層(on twitter @rahumj)


 「TRICK 劇場版2」に仕込まれた真のトリックは,実は,その視聴者を対象としている.そのトリックの目的とは,気取られること無く視聴者に対し,ある種の「マジック」をかけることにあった.このマジックのタネは,映画でよく見られる脚本の多層構造にある.

 この作品は表層上は,老若男女に理解できる単純極まりない科学的トリックを用いた勧善懲悪的娯楽作品,気楽に見て気楽に忘れ去ることの出来るチープなコメディーを装っている.しかしそれはいわば「甘いオブラート」であった.この物語の深層は悲劇と絶望である.そしてそれをプロットした制作者側の意図とは,その悲劇と絶望をもたらした宗教と「超自然」に対するワクチンを,密かに,万人の深層心理に投与することだった.

 「密かに」と書いた.それは本作品がその物語の表層において,特定可能な宗教や超自然を扱っておらず,架空の犯罪的カルト宗教を扱っているように装いながら,その深層においては明らかにカトリックをターゲットとしている点にある.

 「科学の福音」の伝道師たち,あるいは宗教や超自然に対するワクチンを予防的に,特に低年齢層を対象に投与する医師たち,すなわちテレビ朝日のプロデューサである早河洋(株式会社テレビ朝日代表取締役社長)や本作脚本家の蒔田光治(京大法学部出身)が,涙を流すマリア像等の超自然現象を奇跡として認否するための委員会(奇跡認定委員会)を有するカトリックを,そのターゲットと定めたとしても何の不思議もない.

 カトリックの列福列聖の条件としての奇蹟をも考え合わせれば,彼らがカトリックを「超自然=オカルトの擁護者」と見るのは,むしろ自然だろう.そして絶対的な因果律,すなわち科学的法則によって,罪人がその罪によって地獄に落ち滅びるという,この物語のプロットも,極めて自然であったろう.

 しかしキリスト者とは,因果律の破れ,すなわち罪(原因)→処罰的死(結果)の破れを知る者である.カトリックにおける超自然は,オカルトや魔術,すなわち人々を幻惑し魅惑する力の現われなどでは決してない.むしろその反対である.その現場とは神の栄光の現われであり,愛と救いと癒やしの現場なのである.

 超自然を認めない者にとって,すべては自然な物理現象である.彼らは,科学によって解明し得なかったその超自然的現象を「科学の未明領域」とみなし,現象解明のためにさらなる研究へと邁進するだろう.一方の超自然を認める者達にとっては,超自然と自然の弁別は極めて重要な意味を持つ.

 それゆえ超自然を認める者は,現在の科学の説明領域を知り尽くすだけでなく,将来の科学の説明領域すらもある程度予測し,超自然現象を弁別しなければならない.それは科学の最先端に立ち続ける事を意味するが,それは一般人に出来ることではない.

 そのためか現在の奇跡認定委員会は,その科学的検証を第三者機関に依頼しているという.また一般的な裁判と同様に,「悪魔の弁護人」とも称される奇跡に否定的な立場の神父を交えて,その判定を行っているようだ(注:ただしその「悪魔の弁護人」の人数,及び科学者であるか否か,またどれほどの科学的知識と判断能力があるのかについて,自分は知らない)

 藤木稟のミステリー小説「バチカン奇跡調査官」 シリーズの主人公平賀神父のセリフに,次のようなフレーズがあるという.
「科学者として客観的であることと,敬虔なカトリックであることを矛盾なく受け入れている」
否,むしろ超自然の存在を標榜する者は,科学的でなければならないのである.

 故に自分は「TRICK劇場版2」の脚本における,超自然を認めるカトリックと科学の対立構造よりも,カトリックと科学の協力による問題解決が,あの物語には似つかわしかったのではないかと思っている.そうすればあの後味の悪い悲劇的で絶望的な結末を,エンドロールを被せることでさらに薄められた,科学者とマジシャンの小コントで紛らわす必要も無かったのでは無いか?

 甘いオブラートに包まれ,幼い子らの口にも合うように調味された,カトリックに対する苦いワクチンの投与は,地上波初登場の2007年時,視聴率19.6%であることから,その当初の目標を達成したと言ってもいいのかもしれない.映画の興行収入も21億円であるから余裕でペイもしたことだろう.

 確かにカトリックが地動説を認めたのは,ガリレオの死後359年経った1992年であった.また果たして,現在の奇跡認定委員会が,科学の最先端に立っているかどうかは自分にもわからない.さらには修道院の中からも,人間的なゴタゴタやいじめの叫び声が遠雷のように耳に届いてもくる.

 金について言えば,バチカン銀行元総裁 ポール・マルチンクス大司教の大スキャンダルや,最近新聞を賑わせたパオロ・ガブリエル教皇執事の逮捕,実刑判決,恩赦,そして暴露による歴史的痛手,いわゆるバチリークス・スキャンダルに,巨額の金がからんでいたのも事実である.

 しかしそれだけでカトリックを「超自然で信者を集める拝金主義的カルト宗教」と同列に扱うことはおそらく誰にもできないだろう.誤解されやすい「教皇の不可謬性」についても,実際には制限が課されており,教皇の一般的発言に間違いが含まれる可能性をカトリックが全否定しているわけでもない.

 あらゆる教会は完全ではない.すなわち歩みの途上にある.歩みを止め,うずくまり,地上の快楽をむさぼるようになれば,教会は因果律にとらわれ滅んでしまう.つまずくこともあるが,それを悔い改めにより乗り越え,成長し,歩みを続けることのできる生命を教会が与えられているのであれば,人はそこに光を見出すだろう.

 「TRICK劇場版2」にその光,人を生かす光があっただろうか?またその光を,教祖の筐神佐和子,その娘の西田美沙子,幹部聖職者の佐伯周平,導き手の伊佐野銀造らに,科学者とマジシャンは与えられただろうか?

 おそらく製作者側もそれに気づいていたのだろう.教団幹部佐伯周平が逮捕直後に科学者とマジシャンに対して言い放ったあの言葉,
「これがおまえらのやったことだ!!」

に対して,二人を苦々しい沈黙の中に置き続けた製作者たちは,この物語の悲劇的結末への引き金を引いた,科学の限界を,誠実に表現したのだと自分は思う.
 
 断罪は常にたやすいが,その赦しは難しい.故にその赦しは尊く,死すべき命を「今,ここ」につないでいく.冷たい科学と律法主義的断罪のこの時代において,自分はその,「尊い生命の物語」の到来を願ってやまない.それは「希望」の物語である.

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