2013年9月17日火曜日

十字架を下ろして(on twitter @rahumj)

 自分の十字架を背負う者は,時としてその十字架を重みとしてのみ知覚し,十字架の意味を忘れてしまうことがある.

 だから時にはその十字架を下ろし,自分の目の前に立てて,その十字架にかかっている自分を見つめる必要がある. 

 その恐るべき自分の姿を受け入れられなければ,生命に至ることはできない.人はそれに何を見出すのか.喜びか?それとも恐怖か?

 喜びは生命の本質であり,エネルギーである.それは眼前の死を突き抜けて,生命を先の方へと進める.

 その姿に憧れ,また現実にそうなることが決まった時,激しい喜びを感じた人々が過去にはいた.

 喜びによって死を突き抜けていった人々は,今も我々の中で生き続け,語りかけてくる.彼らはこれからも,残された人々に語り継がれ,無限の未来を生き続けていくであろう.

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