2013年8月14日水曜日

ルカ17:20 神の国の非空間的構造と不可視性

 ファリサイ派の人々が,神の国はいつ来るのかと尋ねたので,イエスは答えて言われた.神の国は,見える形では来ない.『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない.(ルカ17:20)
  ファリサイ派の人々の質問は,「神の国はいつ来るか」であるのに対して,イエスはその時期を答えてはいない.イエスは,神の国の1)可視性と2)非空間性について彼らに語っている.つまりファリサイ派の人々の質問が,彼らには神の国が見えておらず,またその国が,物体のごとく,あるまとまった空間を占拠し,王(神)がその領土を支配していると考えている事から発しているのだとイエスは見抜いたのである.

 神の国は,通常,目に見えない.また,まとまった領土としては存在しない.それはおそらくこの世に点在している.しかも極めて微細な点となって,この世を覆っている.

 そのために,それを一般の人々は,その微細な拡散した粒子の集合体,言い換えれば,この世界を覆う極めて薄い雲を,「国」とは考えないだろう.それはとても「国」のように,ある一定の連続的な領土空間を,システマチックに管理している状態には思えないであろう.

 その雲は限りなく,空気に近い.そのため,その雲があることさえも,一般の人は気がつけないであろう.

 しかしその薄雲が見える人もいる.そして見える人は,雲を構成するバラバラな各粒子が,実は別の次元で,すなわち霊的な次元でつながっており,一つの身体を構成していることを知っている.その霊的な次元から見れば,その雲は,一般の人々の想像するような空間占有的な「国」を構成していることがわかる.

 その薄雲が,実は国であることに,見えない人々にも気づけるチャンスはある.それは,神の国が本格的な交戦状態に入ったときであろう.

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