2013年12月23日月曜日

クリスマスと罪をめぐる断章(on twitter @rahumj)

 愛される者は,試される.試された者は打ちひしがれて,神に向かって泣きうめく.「あなたが霊に課された,この苦しみと重荷を今すぐに取り除いてください」と.やがて祈りが神に届き,尊い赦しが与えられ,「食べて元気を出す」と,人はますますある確信を深めていく.「私はあの方の子なのだ」と.



  罪を犯し,赦されるたびに,人は子になっていく.そしてこれは奇妙なことだが,彼の
周囲の人々も,彼の子になっていく.



 罪が茨のように絡み合い,空を覆い尽くすこの闇の世界において,希望を見出そうとするのであれば,人は天を仰いで,その茨の隙間から見える,僅かな空を見出さねばならない.



  重い病気を患った者が,医師の前に立ち,痛みを伴う治療を受けるために,歩いて彼のもとに行かねばならないとすれば,その足取りが重いのは至極当然であり,途中で引き返してしまう者もいるだろう.しかしありがたいことだ.その医師は,その患者を治療するために,彼のもとにまで,はるばるやって来てくださった.



 罪の石の重量は,その人を圧死させるのに十分である.その石が彼の上に落ちてくれば,彼は押しつぶされ,死に,そのとてつもない重量により,その死体は永遠に地に留まるはずであった.ところがこの石を取り除き,下敷きになった彼を蘇生するため,はるばるやって来る者があった.彼は医者であった.

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