2013年12月28日土曜日

「ゆるい」バッハ(on twitter @rahumj)

 敬虔主義は,バッハの音楽にインスピレーションをあたえた.マタイ受難曲しかり.ヨハネ受難曲しかり.正統主義からそれらのバッハの音楽は,生まれてきえたであろうか?

 かといって,すべてのバッハの音楽が敬虔主義的というわけでもない.バッハはルター派正統主義内にいた.したがってその作品は正統主義的作品がむしろメインであり,彼の作品の建築的作法にそれは表れている.しかしバッハには,神秘主義的ともいうべき作品も存在する.

ルター派正統主義の教義では、音楽は人を神により近づけるものであったと考えられていたのに対して、敬虔主義では、音楽は個人的な黙想の訓練に用いられるものと考えられていた読書感想文のページ「神には栄光 人の心に喜び-J.S.バッハ その信仰と音楽/ヘレーネ・ヴェアテマン/村上茂樹訳」

 またルター派プロテスタントであっにもかかわらずバッハは,カトリックのミサ曲ロ短調 BWV232 をも作曲し,「カトリック的な神の讃美の世界と、ルター派的な十字架信仰の世界の、類のないほどの衝撃的出会」いをもたらした.

 神秘主義を含むカトリックの批判から生まれたルター派正統主義.そのルター派正統主義の批判から生まれた敬虔主義.バッハはルター派正統主義を中心としながら,その弱点を補うかのように,その周辺の宗派要素をバランスよく取り入れて作品を作っていたのだろうか?

 バッハ における聖と俗とのバランス感覚.パトスとロゴスとのバランス感覚.そして自分にはとても認識しきれない,音楽内における数学的幾何学的なバランス感覚.それを思うとき,彼が正統主義の立場でありながら,背理的にそれらを導入したことは十分考えられると思う.

 正統主義者バッハの耳は開かれていた.その彼に「自由」を保証したのは,言うまでもなく神自身である.彼は自分が「司祭」であることを強く自認していたのかもしれない.その自由は,正統からの逸脱をもたらすと同時に,彼と彼の作品に生命を与えた.

 バッハ の持つ絶妙なバランス感覚は,正統主義者にありがちな,硬直した教条主義者化から彼を守った.そして正統主義に身をおいたはずのバッハの作品に,ある種の普遍性をももたらした.それは彼の「ゆるさ」と言っても良いのかもしれない.

 しかしこのバッハ の「ゆるさ」は,今見てきたとおり,極めて制限されたものであることを忘れてはならない.つまり「手抜き」でも「制御不能」でも「ノイズ」でもない.それは彼の「art」である.彼は人格的に顕現される神の讃美からは,いつ何時も逸脱しなかったと自分は思う.

 バッハ に与えられた賜物であろうその「バランス感覚」「ゆるさ=許し」を,自分は果たして,その何百万分の1でも与えられているのだろうか?それは自分の信仰生活や自分の周囲において何を意味するのか?それともそれはは捨て去るべき幻影(まやかし)なのだろうか?身分不相応なのか?

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